ブラウン・ランドーン博士との出会い


1847年に生まれ、98歳で完全に健康体のまま、1945年にこの世を去ったアメリカのブラウン・ランドーン博士。太平洋戦争終結の年に没した博士には残念ながら会ったことがありません。(私は戦後6年してからこの世に生を受けました)在世当時、博士は欧米ではとても有名で、知らない人がいなかったと思われます。エドガーケーシの知人からケーシーに充てた手紙の中に、”ブラウン・ランドーン博士は90歳を超えているのにまるで50代にしか見えません。今度ニューヨークで講演会がありますので、是非行ってみたいと思います”とう文書が残されています。ケーシーとほぼ同年代を生きました。二人に親交があったかどうかはわかりませんが、お互い気になる関係だったのでは?と思います。

そんな超有名人のランドーン博士ですが、今のアメリカでは全く知られていません。日本でも、かつては同様でした。

博士には3人の息子がいましたが、すべて第一次世界大戦で亡くなっています。博士はブラウン・ランドーン基金を設立。その売り上げはすべて、平和のために使われました。あれ程著名だった博士が今日では誰にも知られていない理由は、後継者がいなかった(息子が戦死)ため、というのもあるかも知れませんが、それ以上にもう十分伝えたから、という博士の意思があったのではないかと思います。

あまりに有名になりすぎて、有名に飽きてしまった・・・。博士の真理の種を十分に播いたのだから、あとは発芽して色々な花が咲くことを知っていたのだと思います。博士の蒸留水によるデトックス方法も、日本では近年少しずつ蒸留水の良さが知られるようになりましたが、アメリカではスーパー等で売られているボトル水の半分が蒸留水です。その安全性は高く評価されています。病院は自然療法療養所などで積極的に使われています。ブラウン・ランドーンという名前は知らなくても、博士の種がしっかりと根付き、開花させた結果に他なりません。博士は名を残すよりも、彼の沢山の方法が人たちの間にしっかりと根付き、実際に役に立つことを望みました。
そんな博士との出会いは昭和50年頃に遡ります。それより少し前ですが、元夫(故人)十菱麟は、日本で一番初めにエドガーケーシーを紹介した縁で、アメリカ・ケーシー協会の沢山の人と文通していました。その中の一人が博士の原本を送って下さったのです。それは”肉体の無意識からの解放”で、博士の生き方に強く心を打たれた彼は、ケーシーの時のように商業出版を望みましたが、出来ませんでした。資料があまりに乏しかったからです。博士のことはわずか彼のサークル仲間に機関誌で紹介するに留まりました。

ランドーン博士

彼からランドーン博士のことを聞いた当時、すでに元本はどこかに行って失われていました。そのため話を聞いただけに過ぎなかったのですが、強く心惹かれて、いつか博士の本を読んでみたい!と願っていました。インド聖者の所で心から、ランドーン博士の仕事をさせて下さい、と祈ったりしていました。その後後年になって、平成10年頃にでしょうか、パソコンが普及してからです。機械音痴の私もパソコンで検索できるようになりました。何百回ブラウン・ランドーンを検索したかわかりません。本は検索ヒットしないのに、何故か蒸留水の紹介ページ(アメリカ)に時々博士の名前を見つけました。博士は蒸留水と関係があるのだ、と思いました。そして蒸留水を検索すると、理科の実験や精密機械の洗浄に関してのみわずかに記載があるだけで、飲用水としては全く見つけることが出来ませんでした。

そんな中、メールで問い合わせたある人(アメリカ人)が、意外なことを教えてくれました。それは、アマゾンで購入できるよ、と言うのです。そしてアマゾンで検索して、やっと博士の本を見つけることが出来ました。現在でも博士の原文は、アマゾンで購入できます。しかし当時と違って今は、業者が1冊の本を5つも6つにも切り売りしてしまっています。真理のABCも、適当なタイトルをつけて分断し、5冊くらいの本として売られています。原本ご希望の皆様には、タイトルだけではわかりにくいものとなっていますが、アマゾンでお求めいただけます。

私が最初に読んだ本、それは”真理のABC”でした。この本で心が震えました。何枚も何枚も、目からウロコガ落ちました。普通の本ではない、と思いました。こんな凄いランドーン博士が知られていないのは本当に勿体ないのです。不老の実現者であり、真理の完全な覚者、幸福の実現者、である博士の方法を、つたないながらも翻訳して一人でも多くの方にお伝えしたい、そう心に決めました。

十菱(麟)はプロの翻訳家でしたが、私は全くの素人です。辞書を引き引き、時間をかけての翻訳、文章もつたないものですが、博士の心が伝われば、と願っています。今皆様のおかげで、博士の名は本場アメリカよりも、日本で知られるようになりました。ひとえに皆様のお陰です。本当に嬉しいです。

博士がどうして今、アメリカではなく日本で?と思います。もしかしたら、1945年、日本が原爆の投下によって太平洋戦争終結を迎えたのと関係があるかも知れません。博士は平和のために力を注いで活動してきました。敗戦国が初めての”原爆”の投下によって終戦を迎えたことを心痛く思っていたのかも知れません。博士のその”種”が、今の日本で紹介できる縁につながったのかも知れないと思います。

今後も博士の本のご紹介を続け、一人でも多くの方にお伝えできることを心から願っています。そして将来の夢・・・、ランドーンブランドの蒸留器の製造や、スプラウト(発芽野菜)の生ジュース(冷凍?)、博士の瞑想のCG(又はアニメ)・DVDの製作など、少しずつ博士に関係した商品を創っていきたいと願っています。まだまだアタマの中だけで、実現にはもう少し時間がかかるようですが・・・。何かこれらの実現に関しまして、情報をお持ちの方は是非お知らせ下さい。お手伝い頂けましたら幸いです。

最後に、フロリダにある博士のお墓に関しまして。もしアメリカ東海岸を旅行される機会がありましたら、是非フロリダ・オーランドにある博士のお墓を訪ねて下さい。オーランド空港から車で30分程北上したところ、ウィンターパークにあります。ウィンターパークは昔から避寒所として知られています。オーランドのディズニーワールドも近いです。レンタカーがお勧めです。(空港からタクシーもあります)

Palm Cemetery
Winter Park, Fl.

1005 N New York Ave
Winter Park, FL 32789
Phone: (407) 599-3252

 

皆様とのご縁に感謝して・・・・
有難うございました!
十菱 愉美子
(じゅうびし・ゆみこ)
ブラウン・ランドーン協会
?&Fax0974−22−6779